キライという隠し味?

レポとは別枠で、どうしても書き留めておきたかったこと。

やぐっちゃんの場合は、オレが 勝手に好きになった
だけど、
あややは、オレを 好きにさせた

ライブの後、ふとこんなことを口走った おいら。(証人アリw) たぶん、心の声・ホンネだったんだと思う。


いろんな解釈ができそうだけど(汗)、極端に捉えないでくだしゃいm(_ _)m
特に、「勝手に」というところ。投げやり感のニュアンスにとられるおそれが。
冷静に言い直すとすれば、「勝手に」のところは「自ずと」「気がつけば」「当然のように」「理由無く」「考えるまでもなく」といった感じ。


実際、昔のあややはキライでした。CD(楽曲)は気に入ってた(元日発売のファーストアルバムも、ちゃんと年末に入手してたくらい)。だけど、どうもあのウソっぽい なりふりが・・・
ってのは、19歳、まもなく二十歳を迎えるあやや本人も、最近方々で口にしていることで。アイドルアイドルしてただの、なんのって。詳しくは松浦ファンサイト・ブログ方面で(←手抜き)。

Q(友人):もし、中澤姐さんと あややが同日に仙台でライブってなったら、どっちに行く?
A(narit):(即答で)姐さんに決まってるって!(笑)

いまでは考えられないやり取り(汗。 3〜4年くらい前かな? 人間、変わるもんです。おいらも、あややも、変わっちゃった。。


だからといって、過去のあややについて度外視して見ようとは思わない。むしろ、そういう過去について語ってくれると、ついつい読み入ってしまう。
いまでも、昔のあややに良い印象を抱かないのは同じこと。でも、そういう過去の面白くない文章が面白い。読むたびに、昔のあややが嫌いになっていくけど(汗)。
好きになるってこういうことなんじゃないかと。「好き」な気持ちにコクが出てくるのよ。へぇ〜。


何かの歌詞じゃないけれど、全部ひっくるめてその人(あやや)なのであって、そういう酸いも甘いも彼女に感じること全部ひっくるめて、今のその人にぶつかっていきたい。
ところで、「好き」の対義語って「嫌い」なのか? なんだか違うような気がする。


おいらの気持ちに変化が表れたのは、「渡良瀬橋」をリリースしたころ。曲への思い入れも相まっての効果かもしれん。
あな真里内で放送されていた松浦ラジオのときだったと思うけど(忘れたorz)、このレコーディングの様子を語っていた あややに、何かを感じた。「おっ、こいつ、もしかして、、(ドキドキワクワク)」って。
んで、しきりにこの表現を使った。使いたくなった。期待の意味も込めて。


「アイドル あやや から、歌姫 松浦亜弥へ!」


初めにも書いたように、あややの性格とか芸能活動のオモテヅラには・・・だったけど、歌声にはスゴイものを感じていたのは確か。そうじゃなきゃ、アルバム買わないって!


にもかかわらず、
今となっては、「歌姫 松浦亜弥」をことさらに強調する気がしない。周知性という理由じゃないと思う。
きっと、「歌姫」という形容ですら、あややには役不足なのかもしれない。


ちょっと!ちょっとちょっ(ry 「役不足」の意味も、勝手に解釈されちゃ困りますよ(笑)。