ライブを観る側として

↓ひたすら書いてみた。

一昔前の娘。コン空間だったら、「歩いてる」ですらもPPPHを入れていたんじゃないかと・・・

踊れ!モーニングカレー』のDVDを観て、ふとこんなこと思った。


娘。コンに限らず、今年のハロプロのライブってのは観る側の成長?変化?ってのが目立ったような気がする。いかにして、最高なライブ空間をステージ上のメンバーとともに作り上げるか?っていう。
とはいえ、結論から先に書いてしまうと、観る側が意識して良いライブにしよう!って思ったりすることはおいら的に重要ではなく、そういうのもひっくるめてすべて、いかにステージ上でパフォーマンスするか?

要は、歌で・ダンスで・表情で・歌詞で・舞台演出で・セットリストで・MCで、客席に何を伝えようとしているのか? 何を感じて欲しいと思ってパフォーマンスするのか?


言うまでもなく、今年のあややの春コンでは、当時としては衝撃的な生演奏スタイルでのライブの話題で盛り上がった。とうとう!!・・やってしまったか!!待ってました!!って感じで。
それをきっかけにしてなのか、ごっちんコンもそれはそれは斬新に変化してしまったわけで・・・。こっちも一昔前だったら、ごっちんを観たいんだから、まわりのダンサーいらねぇ!って言われてたんじゃない?


そもそも、ハロプロのライブで着席しながら歌を聞くなんて・・ライブ中にゴォーーっていう場内空調の音を聞くなんてあり得なかった。たったひとりの咳払いですら、会場内に響きわたるほど。ファミリー席の話じゃないっすよ。客席全員が座って静かに聴き入る亜弥ちゃんの声。むしろ、あややが促すんですよ、座ってくださいって。
もし1年前に「座りながらまったり聴くようなライブをやってほしい」とか書いたら、たぶん妄想の産物でしかなくて、まぁ…無理でしょ!で笑っておしまい。きっと そう。

あややコンの秋ですっかり話題を席巻した“べっちょないバンド”。おいらですら、歌っているあややを無視して、べっちょないバンドの動向に夢中になってる時もあったしw


そして、つい先日発売された なっちのアコースティックライブ。ごっちんのシークレットライブから“G-Emotion”への流れから単純に想像すれば、来年のなっち春コンは このスタイルを武器にやっていくんだろう。
今年のなっちコンでも生演奏部分はあったけど、ほとんどかおりんのために設定した演出だったし。なっちと しょーじさんの絡みとかそんなに印象に残ってないもん。このへんは、あやや(ストリングス&べっちょないバンド)とごっちん(ダンサー)のイメージが強すぎるゆえかもしれないけど。


ここでですよ・・orz.

個人的には、なっち界隈では古くから言われている「晴れ雨」でのなっちコールとか。好きなんですよねぇ。ライブでのあの調和(なっち と なっちファン)が。
でも、、いかんせん、、なっちコンでのなっちコールは声量が大きすぎるのよ(汗)。去年の秋においらの気持ちを萎えさせた「恋の花」でのなっちコールは最悪だったもん。。なっちの声がなにも聞こえないorz..しかも、この曲で一番好きな歌詞の部分で・・
これがきっかけで今年の春コンではファミリー席で観たんだけど、大成功だった。
なっちの歌声と、客席のなっちコールとの混ざり具合が気持ちよいのなんのって♪ほんと、なっちはみんなに愛されてるなぁ〜って感じた瞬間。


来年の なっち春ツアー、もしアコースティックライブをやっていくのなら、客席のこのへんの態度ってのが物議を醸し出しそうな予感。今年の春コンの雰囲気はすごく良かったから、あんな感じでステージ上のなっちと客席の意思疎通ができていてほしい。
あくまで想像に想像を重ねた希望でしかないけど、なっちがしっとりと歌い上げている最中での「なっち」っていうちょっとした声援とか、サイリュウムがゆらゆらと揺れている客席とか、、そういうのがあっても良いと思う。
なっちは、あややとかごっちんとは違うんだから。「亜弥コンでできたのに、なっちコンでは無理だった」とかそんなの論外。
なっちは、なっちが伝えたいことを、歌で伝えれば良いだけ。そして、それを素直に感じてそれ相応の反応をすれば良いだけ。そうじゃなきゃ楽しくないし。

(行きたかったなぁ・・なっち春コン・・・_| ̄|○ なっちも東名阪限定になっていくんだろうな。)


こういうのも踏まえた上で、、
甘すぎた果実」でPPPHする意味がまったく理解できません。台無しだよ_| ̄|○


パフォーマンスでそれを伝えなきゃいけないんですよ。客の側に理解を強要するのではなく、理解させてこそプロのアーティスト。
もちろん、客の側も理解しようとする気持ちはなければいけないと思う。それが応援する人への愛情の証だと思うし。むしろ最低条件かも。そういう気持ちがなく、ひとりよがりに自分が楽しければ良い!っていうやつはライブに来て欲しくないし。ジャマ!うざい。


去年のごっちんコンで盛んに騒がれた“静寂論争”。(おいらにとっては悔しくも)今年のあやや秋コンでもアンコール明けの「夢」という曲で同じように静寂云々を訴える動きがあり・・

このへんの話題に興味がある方は、ぜひともこちらとかこちらを読んでからコメント等していただきたいのですけども。

こういうの、客(ファン)の側が主張することじゃ無いと思うのです。さっきも書いたように、静かにしてほしいところなら、静かにしてもらえるような空気をアーティストであるステージ上のあややが伝えなければいけない。歌とかその存在感で。
ファンが尽力して静かな空間が作られたところで、あややはなんにも嬉しくないよ。本望なのは、あややが伝えたいことは、あやや自身が伝える。自信ある自らのパフォーマンスによって。
まぁ、、耐えきれずに
从‘ 。‘) 察して!
从‘ 。‘) 静かにしてください
って言葉で言っちゃったこともあったみたいだけど・・・
このとき、叫んだ人への罵倒とか不満を口にする人が多かった。(もちろん、その人がさっき書いたような気持ちを持たずに自分勝手にやってたなら おいらも同感)。
むしろおいらは、あややの力量不足だよ!って思ったのです。静かにさせることができなかった・そういう空間を作りあげることができなかった・伝えることができなかった あややの反省点。

ちがう?

あややに言えますか?
「私たちみんなで協力して、あの曲の静寂が守られるようにしたんですよ。バッチリ決まったでしょ? あややへのプレゼント!」

おいらがあややだったら、ありがとう!って言いつつも、家に帰ってひとり泣くよ。あたしの歌だけじゃぁ、伝わらなかったのかなぁ・・orz.


「静かに聴く曲」だから静かになるんじゃなくて、そういう気持ちになったから静かになる。それがライブってもんじゃないっすか? あたかも予習が必要とか、まわりに是が非でもあわせなきゃいけないとか。そういう空気がイヤ。

だから、去年のごっちん秋コン千秋楽で、ちまたで“静寂破りのバカ”と称された人を、おいらは一概に否定するつもりはなかった。
だって、そういう気持ちになったから叫んでしまった。ごっちんが苦しそうに見えて思わず出てきてしまった優しい気持ち。結果としてそれが、超多数派である静寂派(←おいらもこっちですよ。)の逆鱗にふれて・・・(ry


ダメなのかなぁ・・そういう自由にライブを楽しむのって。感じたままに楽しむ。そうパフォーマンスを見て感じたからそうする。これまでのライブツアーで成功したからとか、いつもそうだからとか、、ムカツク。
ライブツアー中に1公演しか観ない人・観られない人(←含自分)にとっては、そういう空気は非常に怖い。ライブを楽しみたいのに、まわりに遠慮してしまう。


感じたままでイイじゃん!! それが素晴らしい空間を作り上げる。みんなで打ち合わせして予定通りに盛り上がるなんてつまらんよ。

感じたまま、精一杯の気持ちで楽しむ・応援する・一緒にさわぐ・みんなで静かに聴く。


一番後ろの席で観たり、あえて2階席を好む理由はこんなところ。おいらの楽しみ方として、「ライブでは誰かをずっと観てる!!」というよりは、客席を含めたライブ会場の空気を感じるのが重要なんです。

だから、「I know」の客席なんか観てると泣けてくるんですよ。もちろん楽しそうに歌っているステージ上のあややを観ても感動するんだけど、
それにも増してライブを見に来た人みんなで同じフリマネしたりとか、各々思い思いに跳んだり叫んだり△△バウアーしたり鼻水垂らしながら泣いたり・・そういう空気を感じてるときがライブに行って良かった!と思える瞬間。


だから、曲としては好きではないモーニング娘。の「青空」なんかも、ライブでのそれはめっちゃ幸せ感じるんですわ。あんな空間、作ろうと思って作れるもんじゃないし。誇れる名シーンですよ。(あくまでライブ空間として。)
良い曲がライブでも最高なシーンではないのです。演出方法にもよるけど。あややコンの「ずっと 好きでいいですか」は、春コンでの生演奏よりも秋コンでのカラオケ演奏の方が好きだし。

逆もまた同じで。凡曲はライブでも映えないかと言ったら違う。いや、ライブでこそ歌われるべき・表現されるべき曲とか。


こういう理想のライブ空間、壊すのは簡単で作り上げるのは難しいって よく言うけど。
極端に述べるなら、作るのもわりと簡単なのかもしれない。逆に、壊すには心のどこかによこしまな心があるからだと思うし。素直にステージから感じたことを気持ちとして客席で表現したなら、自ずと良いライブ空間ができると思う。それが生の“ライブ”なんだと思う。