時間の魔力

そうか。どうしてこんな単純なことに気づかなかったんだろう・・・危うく同じ過ちを犯すところだったかも。

例えば、例えばだよ、何事に関しても、、っていうか、片思いの事例を考えてみるとわかりやすいと思うよ。例えばだってば!(?)


自分が、誰かのことをひたすら想っていたとする。数字で表そうか…、例えば…1日のうち16時間くらいの間 そのことで頭ん中イッパイだったとしよう。いわば、気になって気になってしょうがない・・・、、無意識にやっぱりそのことを考えてしまうみたいな。

他方で、その相手はほとんど無関心だったとするなら・・・例えば、1日に1分程度とかね(汗・・

この時点ですでに、900倍以上の時間のギャップができてしまうんだ。そして、これが1週間ともなると、もはや →∞


んで、ひと月くらい経ったときに、こう言ったとする。
「デートしようよ!」
・・・・・
かたや、何時間も一緒に過ごしてきた間柄だと思いこんでいる誤解者。かたや、初対面で挨拶を交わした程度、ほんの数分の関係。通じるハズがない。


「時は 万人に対して 平等である。」
同じように時間は過ぎているってのは言うまでもないこと。でも、お互いの間に流れている「時間」は一致しないんだよなぁ。
というより、一致している関係ってのは極めて理想的な関係。

但し、一致している時間が長ければ長いほど良いというわけでもない。お互いの間の「時間」が、お互いに ほんの数分だったならば、いまだ軽薄というかほとんど他人のような感じで関わりあうことができるだろうし。
逆に、その「時間」がひたすらな年月だとしたら・・結婚だよ(爆。


誰かが言ってたんだ。
「辛いのは、お互いの“好きの量”が一致しないことなんだよ。」

今日の仮説に当てはめるならば、
“好きの量”が、さしずめ「時間」なのかもしれない。


「時間」を一致させたいからこそ、興味のある相手とは同じ時間を共有したいと思うんだろうなぁ。一緒にいるときは、一緒に時計の針を進めることができるから。
もし一緒にいても、なんらかの違和感を感じるならば、、きっとそれは、「時間」の感じ方が違うからであり、誰かが言ってたように、“好きの量”が違うから。


前述したように、“好きの量”が大きい同士だけじゃなくて、小さい同士なのも実は至極理想的なことなのだ。だって、数年に1度だけ会って心地よい相手っているじゃん。中学校の同級生とかさ。


片思いの辛いところは、相手が自分のことを想っている以上に、こっちが相手を好きになってしまったこと。なんと皮肉な・・・


「永遠の片想い〜♪」
想っている方としては 絶望的な永遠なんだけど、想われている方としては 永遠どころかカップラーメン程度の時間だったり、あるいは長時間だとしても意味軽薄な単純な時の流れに過ぎない。なんの悪気もなく。


“好きの量”を減らすことができれば、もっと相手のことを好きになれる! 今日の日記の理論から言えば、そういうことになる。
予防的見地からすると、あれ以上好きにならなければ もっと好きでいられたんだろう。


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なんだよそれ。人間って悲しいね↓↓( T▽T)