恋の始発列車ってどこ行き?

どうやって書き初めて良いのやら(汗。【ライブで、オリジナルのメンバー以外が歌うこと】について。自縛したからには、ちゃんと実行しなくちゃ。


「新年早々、みんなでカラオケ?」(2005.01.04の日記)

↑去年の紅白ハロコンについて書いたことを踏まえて。


今までライブで実際に体感したり、ライブDVDで見て思ったのは、違和感はあったけど、負の感情はわかなかった。むしろ、うれしい!という気持ちが勝っていたと思う。
とはいっても、やっぱりオリジナルの面子に思い入れはあるわけで・・・そういう場合は、
{正(ポジティブ):負(ネガティブ)}=(51:49)
比で表すとこんな感じ。


歌は、歌われてこそ価値がある。聴いてこそ価値がある。後世に伝えていくべき、貴重な たからもの。
ただただ個々人の思い出の中に封じ込まれているってのはもったいない。もちろん、おいらにも そういう類の曲はいっぱいあるし、それらの曲をそう簡単にいじられたくない。


だから、気持ちがこもってないのに むやみやたらにカバーとかやられると、煮えくりかえる程の怒りを覚える。これは、友達同士で行くカラオケでも同じこと。おちゃらけ・おふざけ・お遊びのカラオケを否定しているわけじゃない。バカ騒ぎしながらのカラオケとか最高だし。
でも、自分にとって至極大切な楽曲においては、いい加減な気持ちで歌ってほしくない。いや、歌うのは自由だけど、そんな汚い音を自分の耳に入れたくない。マジな話、そういうときは何にも言わずにトイレに行くフリをしたり、飲み放題のジュースを取りに行っちゃう。


大切な曲であっても、歌っている人の気持ちがこもっていたり、マイナスのイメージが皆無だったときは、逆に喜び勇んで聴き惚れてしまう。「やっぱり良い曲だなぁ〜〜・・・」「こいつ(歌っている人)、なかなかやるじゃん!」って。


結局は、歌い手の気持ち・誠意の問題。だから、タンポポの中で梨華ちゃんだけがあの曲を歌ったとか、オリジナル以外の亀ちゃんとかが歌ったとか、そのへんはおいらにとって重要なファクターではないのかもしれない。

歌っているときに、どういう気持ちで歌ってくれているのか?


そうは言っても、ステージ上の当人達の感情を1から10まで知るなんて不可能。でも、それって芸能界とかハロプロとかそういう特殊な理由じゃなくて、ごく普通のことだと思う。歌を聴いた人それぞれが、それぞれに感じること。歌声に感情がこもっていたかどうか、その事実関係を立証する必要はどこにもないのだ。聴いた人が、勝手に何かを感じればいい。「歌」ってそういうものじゃん。


失恋した・ハッピーな1日だった・大目標を達成した・ひたすら怒られた・ドライブ中・窓の外で雪が舞っている・何だか体調が悪い・昨日のドラマに感動した・明日のライブが楽しみ。
聴くときの状況によっても、「歌」の味わいなんて千変万化するもの。同じ曲を聴いても、好きから嫌いに転じることもあり得るし、何かのハプニングがきっかけでかけがえのない名曲に昇華することも。


例えば(仮に・万が一)、

(〜^◇^)「結婚して、歌手活動を無期限の停止とさせていただきます。旦那さんに尽くします。最後に、ファンのみんなに感謝の気持ちを込めて歌います。聴いてください。『△△△△△』。」

この瞬間に、おいらの中で『△△△△△』という曲は、他の誰からの不当な干渉を許さない、墓場まで大切に抱え持っていく曲になるに違いない。
↑フィクション!!


自分の中で勝手に作り上げている世界観・思い入れ・イメージ・オリジナルとの違いとぶつかったときに、相乗効果で嬉しい感情が沸くのか、逆に相まみえることかなわずに拒絶反応を起こしてしまうのか。そういう問題。


さしあたり、今のハロプロのメンバーであれば、どの曲を誰が歌ってもおいらは喜んで聴き入ってしまう。(注:最前提に、「オリジナルに歌ってほしい!」という気持ちありき。)
憧れの先輩が歌った曲、あるいは、ハローの仲間がひとつの時代を作り上げた曲。いずれは、可愛い後輩が歌っていた初々しい曲を大御所の先輩が歌うなんて場面もあるかもしれない。『恋の呪縛』(モーニング娘。)とか(笑。
{51:49}かもしれないけど、やっぱりさぁ、良い曲・思い入れのある曲は、歌ってほしいっす。違和感はあるけど、「思い入れ」が毀損してしまうことはないだろうから。ひょんなことから、オリジナルの良さを再認識することもあるし。