帰宅
さっきも書いたけど、
10月28日、一日中ずっと夢の中にいたんじゃないかと思うよ。
帰宅していつもの場所にいる今でさえ。
悲しさと悔しさとやるせなさと…
迷ったけど、やっぱり書いておこう。
「大宮公演が、ハロープロジェクト後藤真希として最後のライブとなります。」
どうして事前に公式発表してくれなかったんだよ!
誰にだって、どうしても、是が非でも、人生めちゃくちゃになってもその場に駆けつけたい!見届けたい!って思う場所・瞬間があるはず。
最後のライブに行くのか・行かないのか(行けないのか)、それくらいの選択をさせてくれても良いじゃないですか!?
中に入れなくても、せめて会場の外で時が過ぎるのをじっくり噛み締めて、、。わかりあえる仲間だってイッパイいるだろうし。例え見ず知らずの人だとしても。
現地に行かなくても、方々でたくさんのファンが想い想いの時間を過ごす。「今ごろ、ライブ終わった頃かなぁ……」って。
その当日のためにファンレター書く人もいると思う。記念に、ごっちんの好きな食べ物をスーパーで買って来る人だって、、。カラオケに行って、ごっちんの曲を歌いまくるかもしれない。
ファンってそういうものじゃないかなぁ(素)
こんなの、サプライズでもごっちんのためでもない。
ごっちんは・ごっちんファンは何も悪いことしてないじゃん。。なんの罰なんだよ。
噂とデマと信憑性の高い情報と、そんな意味不明混沌としたものに掻き回されて、結局あたかもタブーであるかのように当日を迎えてさ、ごっちんのMCの所々に垣間みられたあれやこれや。
心理ゲームなんて願い下げ!情報戦の勝敗なんてのもどうでもいい。
はぁ。。。
悲しさよりも、悔しさとやるせなさが大きくて、(ごっちんに限らず)“ファン”という集団の無力さが辛いのです。
こういうことを考えたベースには、これがあややだったら?という一抹の妄想があったのは言うまでもありません。
ごっちんとあやや、タイプは違うけれど、立場であるとか境遇?所々の点で共通するところが多いと思ってきたから、なおさら。
綺麗にまとめるつもりもないのだけど、
今日ばかりは、『笑顔』(松浦亜弥)の歌詞が痛烈に突き刺さってくる。
最後の瞬間
最後の最後にステージ上の照明が一斉に消えた瞬間、心電図の波が一本線にツーーー∞、あんな心境だった。
ああぁ もうホントに終わりなのね……
おいらは、2階席最後列の一番端っ子の席。
1階席のよっすぃ〜の表情まではさすがに見えなかったけど、場内の雰囲気を総覧できる場所。
終わりの瞬間からずっとぼぉーーーーーっと場内を見てた。
出て行きたくなかったという気持ちの方が強かったかな。出て行くと、自分自身のごっちんコン空間の終わりだから。もうこの空間は体験できないから。
いろんな人がいたなぁ。。みんな背中越しだけど。
必死に叫ぶ人、呆然と立ち尽くしている人、タオルかぶって多分泣きじゃくってる人、泣いてる女性の頭を抱きかかえているカップル(これは羨ましかったぞ!…)、懸命にメール打ってる人、ステージに向かって「ごっちんありがとう!」、その他いっぱい。
初めてだよ、係員にかなり強めに退去勧告されたの。
ここだけKYな更新させてm(__)m
オレンジ色に染まる場内を見て、
亀ちゃんのことを考えてたりもしました。祝ってあげたいよマジで。
↓いつもの妄想。
( ・e・)わぁ〜〜♪カメ!、オレンジ色がいっぱいだよ!!
ノノ*^ー^) 絵里、ほんっっっっっとうに 嬉しいです♪ ありがとうございまーす!(泣)
以上m(__)m
やっぱり あややが気になる。
ハロプロの一員としてのごっちんが、ライブ等でハロプロらしくないステージを見せて(魅せて)くれる、それが魅力的だった。自慢もあったかも。「ハロプロ=モームス」が一般認識だから。
「ハロプロらしい」って何?と問われても、上手く書けないけれど。。
逆からアプローチすれば、それだけごっちんはパイオニアだったということ。
だから、ハロプロから卒業(離脱?脱退?引責?…このへんの言葉使いに大意はありません)すること自体には万歳なんですよ。
時期が悪かった。。タイミングが最悪。
弟の逮捕の一件が無かったら、自分に限らず ファンの反応も 世間の反応もかなり違ってたと思う。
こればっかりはそれぞれの感じ方だから確証はないけれど、
昨日おいらが 大宮の夜公演で見たごっちんの涙は、悔し涙にしか思えなかった。
(涙そのものというよりは、言葉を詰まらながらしゃべる様とか、『スクランブル』の披露の仕方とか、それらをぜんぶひっくるめての状況から。)
悔しい要因…、おいらにはあの一件しか思い浮かばない。