サイリュウム企画

田中れいな聖誕祭サイリウム企画に反対する!

(以下略 → 本文はこちら。


田中れいな」とあるけど、
れいなに興味がない!とか、その日の娘。コン行かないし…とか、モームスなんて関係ねぇ!とか、愛する人〜はあややだけ〜!!!とか、、

ハロプロに興味がある人は、例外無く一読してほしいです。
たぶん、いずれ自分の身にも起こりうる状況。
(ちなみにご紹介した司馬さんは、れいなちゃんを妹として萌え可愛がっ(ry。最後までちゃんと読んでください!)

個人的に、

卒業のサイリュウム企画で一番印象的だったのは↓これ。

11本がかりで!(←素数


たった11本だけど。
あとは明日の朝、仙台駅で託すのみ!


娘。コンの会場でこういう卒業企画のPRしてる現場を見たの、実は今回の よっすぃ〜のが初めてだったんですよ、おいら。
しかも、新潟県民会館の駐車場にて、車の中で待機してたおいらに向かって(そのときはGAMを聴いてたんだけどw)、告知ボードを熱心にこっちに向けて「お願いします。(声は聞こえず)」の一言。
快くうなずいて返事したけど(さいたま行かないのに)、そのときの笑顔がとても印象的だったんだよなぁ。あっ、べつにその人に一目惚れとかそんなんじゃないっすよ(爆)。


(……おいらも娘。コンであういうことしてみたかったな。。。。。)

“企画者”って

“企画者”が云々ももちろんだけど、
大切なのはそのサイリュウムを実際に手にとって祝福したい!祝福させてくれm(__)mっていう気持ちなんですよね。
“企画者”って、そういう気持ちを仲介してくれて指揮を執ってくれる人。あるいは、そういう気持ちを思い起こさせてくれる恩人なのかもしれない。


だからこそ、“企画者”と呼ばれる(自称でもいいやこの際…)人たちには、「そもそもあなたはどういう気持ちで企画したんですか?」というのを誰の目にもわかるような形で示す努力をしなきゃいけないと思うんですよ。
そして、それをできる限り周知させる。

もっとも、たくさんのファン・ヲタの人たちの中にそういう気持ち(サイリュウムに限らず)はあるだろうしあると信じたい。
“企画者”の気持ちが伝われば、自ずと協力してくれる人は集ってくるだろうし。周知させたい!という人の輪がどんどん広がっていって……♪


よっすぃ〜のときの宣伝はほんと頭が下がる思いだったもん。やぐっつぁんを慕っているおいらとしては、よっちゃんに対する気持ちはまた特別なものがあったからよけいにそう感じた。
時にして、卒業の1ヶ月前の3月31日。

今回だって、、、

れいなをお祝いしたい気持ちはイッパイあると思うし。

同情するわけじゃないけど、気持ちがあるからこそ、これまでの慣例を貫かないといけないというプレッシャーがあるのかな。。

( ^▽^)名古屋!

たしか、美勇伝説4の名古屋千秋楽公演のとき、サイリュウム企画がどこかの誰かによって立ち上げられたけど、冷静に反対運動が巻き起こって無くなったっていうエピソードがあったはず。
(あのときの“企画者”と今回のれいな企画の“企画者”と一緒に論じるのはあまり適当ではないかもしれないけれど。)


これに関しては、サイリュウム企画が無くなったことに意味がある(拍手を送りたい)のではなくて、
より多くの人を巻き込んで(意見を集めて)やらないことにしたことに意味があると思ってる。

SIBAさんの文中にあったけど、

ガキさんのときにしても、「きっと緑サイリュウム使うに違いない!」というハロプロライブ常連ならではの勘と学習能力とでも言うのか、、結果として緑に染まったという経緯も否定はできないと思ってる。

(ここではmixiがどうのこうのと批判するつもりはありません。)


個人的に似たような経験をしたのが、2005年のなっちコン千秋楽新潟コンのとき。
「『さくら満開』のときにピンク!ってのはブログ巡回してて知ったこと。
でも、アンコール後の『空 LIFE GOES ON』のときに1階席が青(空)・2階席が白(雲)というサイリュウム企画はまったく知らなかった。1階にいたおいらは、その曲中も知らなかった。「あぁ、みんな青持ってるなぁw」って。
おいらはアンコール時に、自分の気分で次の曲のために青いサイリュウムをあらたに折ったんですよ。気づいたらなにやらまわりも青くなってて。
んで、それが企画だったってこと、さらには2階席は白く染まっていた(らしい)ことを知ったのは、歌い終わったあとのなっち直々のMCだったという。。


結果オーライだったけど、やるからには限りなく100%の人が参加しての企画じゃないと……。
その勝手な多数派のために、ライブから自分が阻害されたような気持ちになっちゃうキケンもある。MCでその人が感動すればするほど、自分は(気持ちはあるのに)あたかも無関係みたく言われてさ……(ふてくされ)みたいな。


何を言いたいのか自分でもわからなくなってきた。ここで自分なりの結論出したくて書いたわけじゃないから、まぁ良いか…

最後に、

“企画者”さんに反対することも、その企画に協力することになると思う。


あと、今後誰かの聖誕祭とか凱旋コンとか卒業ライブとかでやっぱりサイリュウム企画の類いが出てくると思うけど、過去の先例に捕われて義務的にやったりしないでほしいなぁ。
「サイリュウム企画が無かったら、れいな(←仮)が可愛そうじゃないか!!(怒)」ってのが企画立ち上げの発端だとしたら本末転倒。悲しませたくないからやるんじゃなく、お祝いしたいから何かできることを!っていう気持ちが大前提。


そうじゃなければ、ガラリと考え方を変えて、、
「祝い事には、絶対にサイリュウム企画をやることになっている(暗黙の了解)」
↑こうだったら、遅々に企画を立ち上げた人に文句は言えないよ。「じゃぁ、あなたが率先して立ち上げれば良かったのに、どうして人任せにしてきたんですか?」と。
むしろ、“企画者”は救世主だ(笑)

企画として立ち上げないと、サイリュウム点灯のタイミングをそろえるのは難しいかもしれないけどね。

やっぱり、

綺麗だし、一面のサイリュウム。
ステージからあの光景を観て感動している表情は、(DVDで観てても)本物だもの。
この点で最近最も感動したのは、今年の春のベリコン@さいたまスーパーアリーナの りーちゃん(りしゃこ)なんですよ♪
あういう喜んでいる表情を見ると、意地でもサイリュウム企画をやりたくなる気持ちもわかる。ましてや、自分が一番好きで応援している人だったらなおのこと。