測定しようもないし
大好きだけど本気の恋だか 測定しようもないし
『タイムカプセル』[℃-ute]
明日は 今日よりも心ごと大人の私でしょうか
いいえ それとも
体だけ大人の私でしょうか
いずれ わかることだから
今は 時に委ねましょう
『今はレットイットビー』[松浦亜弥]
好きな歌詞はもちろん山ほどあるのだけれど、
今年かなり深刻に真剣に落ち込んだときに、ふと耳に入ってきて救われた歌詞がこの二つ。
両方ともそうだけど、「考え過ぎるのもよくないなぁ…」と。自分の長所であり短所でもあるところ。
「測定しようもない」
「時に委ねる」
投げやりに聞こえるけど、自分自身で確かな気持ちを持ってさえいれば、どう進もうが、どうやっても進みたい方に進めなくても、堂々と歩いていけるんじゃないかって。
そのときに感じる“風”を心地よく感じたい!
「自分が“相手”のことをどれくらい好きなのか」
そりゃぁ、欲望とか感情が溢れ出しちゃって叫びたくなることもあるしw、実際それが自然な行動だと思う、たぶんね(苦笑)。好きなんだからしょうがない。
だけど、それが「自分はこれくらい好きなのに、どうして気づいてくれないんだよ…どうして……」は、、違うよなぁ。
どれくらい好きかってのはただそれだけのことで、最高級に最大に極限に好きだからといって、その人に最高級の幸せが訪れるでもなければ、“相手”との愛情が深まるわけでもない。
事実、自分は“相手”のことが好き。
これだけで十分じゃないか。その気持ちをもって、時に委ねて一緒に歩いていけば……
そう思えるようになってから、ほんわか幸せです♪(照)
そして忘れちゃいけないのが、、“相手”のこともそういうように見て行きたい。(べつに、恋愛云々に限った話じゃなくて、一般論として。)
「自分のことをどう想っているのか」
測定しようもないし、測定するものでもないんだよなぁ。自分が勝手に安心したいだけのような気がして。
測定しなくても、いずれわかる…。今は今で気の赴くままに進んでいこう!
かと言って、いい加減に歩いたらダメで、時に委ねて・風に委ねて進んでいくには、それ相応の気持ちが大切。
この二つの歌詞は、大ざっぱ・優柔不断・ネガティブな気持ちなんかじゃなくて、計り知れない“明日”への希望に満ちた気持ちに聴こえるんですよ。
来年は、来年も?、
心も体も、今年よりも大人になれると良いなぁ。
楽しく歩いていきたい。いろんな人と、特定のあの人と……