絶望の月

いいなぁ・・・みんな楽しそうで

いや、おいらも嬉しかった

妄想趣味のおいらですよ。どんだけ頭の中で脳内ライブをやっていたことか・・・


でも、嬉しくて笑いそうになったとたんに
笑うことへの後ろめたさっていうか恐怖というか、、


これで満足できるような問題だったなら、
どうしてこんなに長い間苦しむ必要があったの?
っていうか、ハロコンの方が未成年のメンバーがいっぱいじゃん。どうしてそこで歌ってるの?


なんなのさこれ?
歌っていることへの疑問が的を得ていないのなら、、
どうして今まで歌わせてもらえなかったの?


何も解決してないんだよ。


それともやはり、“時間が解決”ってやつか


1月初めのエルダコンで歌ったと知った時以来、

おいらの思考回路は、矢口ファンとしての見方よりも、モーニング娘。ファンとしてのアプローチが強くなっているのかも。

やぐっつぁんを許してほしい」・「受け入れてほしい」と願う一方で、
「安易に許したくない」 or 「怒りの気持ちとかは全く無いけどさぁ、人として・当時のリーダーとして やるべきことがあるだろ やぐっつぁんよ」・・という相反する気持ちがここに。


「人を憎んではいけません」
「憎しみには 許しを」

いい言葉だよねぇ

本音、彼女を受け入れてくれた人たちには感謝感謝m(_ _)m
おいら宛に励まし?のメールをくれたりコメントくれたり・・・ありがとうございました。


いま言えることは、

おいらが好きだった やぐっちゃんは、今はもういないということ

変わっちゃったのが彼女なのか自分なのかわからないけど、


あくまで「好きだったやぐっちゃん」がいなくなっただけで、やぐっちゃんは今でも好きですよ。
でも、身を賭して信じて応援する自信がなくなった。


だって、笑顔を見ると凹んで辛くなるっていう現状なのだから。一緒に喜びを味わえないならお互いに近くにいる必要もないし。

実際、ラブマを歌った紅白以来、やぐっつぁんのことで心の底から嬉しくなって笑顔になれたことって、エルダコンで歌った報を知ったあの一瞬だけ。それ以外のときは、いつも笑顔にストッパーがかかってた。


まぁ、やぐっつぁんの考え方とか価値観とかを垣間見られたという点では良かったのかな。
そのすべてがおいらには信じがたい非情なものだった。ショックだった。

そうなのか_| ̄|○
そういう人だったんだ_| ̄|○

おいらの好きだった矢口真里は幻想だったんだ。。って。
おいらが勝手に誤解してただけ。
ガタガタと音を立てて崩れていく10年弱の年月・・_| ̄|○


・・・
って書いたけど、数時間後には修正するかも・・・


まだまだ信じて待ちたい自分がいることも確かだけど、
チャンスは何度もやってくるものじゃないわけで



あの頃に戻りたい



p.s.違うかもしれないけど、この御方あややに対する態度・心境、なんとなくわかるような気がしてきた。

追記

ライブとしての感想はDVDが出てからあらためて。
これが待ち遠しいのは言うまでもないこと。