せまられたい

http://www.sanspo.com/geino/top/gt200605/gt2006053004.html
ちょこっと先輩な人を見ると、とってもうらやましくなる。年齢的なちょこっと先輩って意味だけじゃなくって。憧れの的、理想。でっかく言えば夢・・・だけど、何とも言えない現実感・切迫感・当事者感覚。次は自分?とか・・。
たった20年〜30年しか生きてきてないけれど、そういうことってそれぞれの年代であった気がする。
今なら結婚。またそのネタかよorz...って人は・・・ごめんなさい(爆。


つんく♂さんにしろタイゾーさんにしろ、そんな姿(笑顔っていうか、立ち振る舞い・言動・目つきetc.)がひたすら魅力的に見えてしまう。
単なる願望じゃないんだよ、たぶんさ。やっぱりそこには、いつかは我が身・・って嬉し恥ずかし恐ろしいドキドキ感があって、その対象に感情移入するのを超えて、自分をそこにかさねてしまう。
結果に同一視させるのではなく、その環境に自分が投げ出された…いや、そう考えている時点ですでに環境の中の住人なのかもしれないけれど。
いざそうなったら自分はどうするんだろうか?何ができるんだろうか?そこには誰がいて、誰がいなくて、何が使えて、何が足りないのか・・そして、リアルな今の自分とそれらを突合させて考えてみる。


高校生のときだったら、大学生が楽しそうに(ある意味、無計画に…)キャンパスと呼ばれる敷地内を歩きまわっている姿に憧れたものだ。「どうしてそんなに手携品(かばんの中身)が身軽そうなんだよ!(怒)」とか。
だって、そのときの自分のかばんの中身ってのは、膨大な教科書と資料集・ルーズリーフ(ノート)の束、英和・和英・自分が信じた市販の参考書・問題集、母親が毎朝作ってくれたお弁当、使うんだか使わないんだかわからん蛍光ペンばかりのペンケース、そんな感じ。
勉強しにきているように見えないその出で立ちで、相当に高度で面白い講義を受け、日々研究に勤しんでるんだろうという勝手な期待。
あまりにも当時の自分とは別世界にして、まもなく自分もその空気を吸うときがやってくる!その気持ち悪いほどのギャップに、やっぱり少しの不安と猛烈な期待がそこにあって・・・


野球部に入ってたわけじゃないけど、小学生の時はヒマがあったら壁を相手にキャッチボールしてたり、友人集まってやってたことはファミコンか空バット使って野球ごっことか。たまに人数が集まったら試合をしたり。
そんなガキんちょだった自分、甲子園で汗と涙を抱えて走り回っている“お兄さんたち”という意識から始まって、自分が高校生になったとたん、やっぱり上記してきたことと似たような感覚が。当事者意識。
すぐ隣には、甲子園目指してプレーするという集団空間がそこにあって、自分にはもちろん無縁のハナシなんだけど、同級生がその空間にいて、そして自分より年下の後輩がそういう空間に入っていく姿を見て、寂しさと親近感が。夢の代理人とかいう表現があるけど、それとも違う。自分がそこで青春を謳歌するかどうかが問題なんじゃなく、何なんだろう??そういう素敵で劣悪で必死で希望に満ちた空間が、あさっての方向ではなくてすぐそこにあるという空間意識。


結局何だかわからなくなってきたけど(汗)、
つんく♂さんの「結婚指輪は30万」という発言に、萌え以上のドキドキ感を感じずにはいられないお年頃だってこと(←へぇ〜)。決して他人事じゃない。結婚するかしないかという結論判断ってのは、大した問題意識ではないんだと重う。
自分の場合は、考えなければならないという切迫感・義務感みたいなメンドウなことではなくて、そうやって自分のことのように考えられる時期に存在しているということ。そういうことを真剣に考えさせてくれる人とか状況とかも。ただその事実が嬉しくて怖くて、そこからなぜかパワーをもらっているということ。かつてのキャンパスライフとか高校球児のように。


っていうか、やぐっちゃんキャワ!(はぁと)

(〜^◇^)っていうか、勉強しろ!

はーい。