「コメント」

やぐっつぁんについて語るのは、もはや今日しかない!?・・・

やぐっつぁんらしい」

もはや、金太郎飴状態のコメント。簡単に振り返ってみた。

突然のモーニング娘。脱退

まぁ、こういう脱退(卒業)の仕方もアリかもねぇ。

モーニング娘。よりも恋を選択

「結婚したら、旦那さんにつくすですよ」の発言とか、あな真里を聴いてたら、そういう気持ちも理解できるし、むしろ歓迎するさ。確かにさみしいけど、キッパリとした性格の矢口さんが下した決断、ファンとしては最大限尊重したい。おめでとう!幸せになってね!

おいらがいなくても、モーニングは よっすぃ〜を中心に、立派に頑張っていけると確信した。

モーニングの将来について、人一倍悩み考えてきたやぐっつぁん。そんなリーダーがすべてを託せるほど信頼できる後輩たち。それはそれで素晴らしいことだと思う。安心して身を引いてくれ。そして、輝かしいソロアーティスト矢口真里への道をスタートして下さいな!!

矢口真里は、一からやり直します。

モーニング娘。という地位も名誉もあてにせず、自分自身の力で勝負していくという心意気は大切。いや、むしろ当然のこと。

ひとつひとつ、それぞれを独立して考えると、確かに「やぐっつぁんらしい」決断かもしれない。
でも、これらをひとまとめにして総合的に考えると、「はぁ?」「なぜ?」「意味わかんねぇよ〜」になる。不思議なもんだ。。

「コメント」

結局は、「コメントの信頼性」「どのコメントを信用するか?」にたどり着くんだと思う。今回の騒動では、それぞれの要素を連結する「理由付け」のコメントが、どれもこれも信じられない・信じたくない内容。
そうなると、ファン側としては「仮説」を立てないと、積み重なっていく心の叫びを吐露することができない。それが何よりも辛い。なにせ、そもそもの土台が「仮」なんだから。書いても書いても書き足りない。読んでも読んでも納得できない。

そんな最中に、郷ひろみさんが自らのホームページで、「自分の言葉」でコメントを発表していた。とてもうらやましかった。
その反面、「矢口真里のコメント」という公式コメント、それは文字通りの「コメント」ではなく、それ自体が芸能活動の一環に過ぎなかった。つまりは、矢口真里という芸能人名義での「コメント」という製品・サービス提供だったということ。
もともと、芸能人矢口真里のホンネを知ろうとすることが、叶わぬ願望なのかもしれない。だけど、少なくともおいらは、今までのモーニングでの活動で、やぐっつぁんが発してきた多くのメッセージに感銘を受け、好意を抱き、ついには尊敬の対象にもなっている。
もしそれらが、作られた芸能人矢口真里の言葉だったとしても、芸能人矢口真里が好きなのは間違いないし。誰にだってあるでしょ?仕事とプライベートの使い分けなんて。