最高裁の判断を聞きたかったなぁ

学問的な論理と実社会の事情とは相容れないことが多々。そんなことをこれまで度々耳にしたけど、これもその一例なんだろうなぁ。

株主は、その会社の経営に関するプロじゃないといけないの?

どうして、株式会社に株主総会・取締役会・監査役という機関(場合によっては、執行役とかいろいろあるけど)が存在しているのか?現実離れしたお堅い学問的見地からすると、株主は経営のプロであることを前提としていない。そこで、会社の持ち主である株主は、専門的知識やその道の経験豊富な適任者に委任して、業務執行の舵取りをやってもらう。それが取締役などの業務執行役員
何が言いたいかっていうと、

「発行済み株式総数の大多数を占めた=経営権掌握」ってことではないハズ

取締役はあくまで株主からの委任を受けた代理人であって、議決権の何パーセントを持っているとかそんなことはどうでもいいんですよ。株主総会で選任されるかされないか、ただそれだけ。
「株式を上場しているなら、どんな人が株主になっても文句は言えないハズ。」、そうなんですよ!ラジオとか報道の素人が放送局の大株主になっても何の問題もないんです。だって、株主は経営のプロじゃないんだから。法律的知識も、マスコミ業界の倫理も、資金調達とか連結決算とかわけわからん会計的知識も、労使関係・公共性・その他、放送局に関する難解たるさまざまな専門的知識なんて株主には必要ないんです。っつうか、無理。素人なんだから。
素人だからこそ、それらの知識に明るくて、優れた経営能力をもった人材に会社の運命を任せるんじゃないの?いい気になって素人株主が役員に就任しても、自らの出資金がパーになるだけだし。

・・・とここまで書いたものの、極めて非現実的ですなぁ。やっぱり机上の理論では現実は語れませんわ。だって、名物パーソナリティー・リスナーへの愛情タップリのディレクター、その他番組制作に携わるスタッフさん、そんなラジオの電波を日本全国で待っているリスナー、OBの人達、スポンサー、人間と人間の関係はものすごく複雑、いや神秘的とでも言って良いくらい貴重なものだし、これまで積み上げてきた時間(歴史)ってのも。
結局、今回ののいざこざに関する自論はまとまらず・・・。先般の税効果会計論議でもそうだったけど、春は悩み多き季節・・。
ラジオへの愛着云々については、あな真里最終回について書くときに。