陪審員ネタでなっちを想う

アメリカのスーパースターに関わる裁判での陪審員選びのニュース。陪審員とか裁判員制度について語るつもりはないけど、ちょっと面白いなぁというか興味深い「あること」を感じた。
仮に、仮に、上記の一連の動きを「なっち騒動」に置き換えてみてください。
活動自粛の報があった日、多くの安倍なつみファン・なっち推し・なちヲタはこう語りました。「大人なんだから、自分のやってしまった悪いことについてはきちんと責任をとってほしい。」「罪を負ったわけではないけど、やっぱりきちんと謹慎の態度を見せて、また元気な笑顔を見せてほしい。」。自分も多少は譲歩したものの、似たようなことを偉そうに語っております。

さて、アメリカで実際に行われている陪審員選定に関しては、弁護側は「被告人の音楽とかパフォーマンスに興味を持っている人を選びたい」とか。これらの発言自体も意味不明ですが、ここではそれを言いたいのではありません。被告の歌・ダンスが好きな人が陪審員の多数派になった場合は、おそらく被告人には無罪という判決が下されることになるでしょう。(もちろん、陪審員選定の際には、ファンであることが知られると選定から漏れてしまいかねないから隠すんでしょう。)
そうなんですよ!ファンだったら、犯罪事実の信憑性とか過去の犯歴なんて関係ないんですよ。とにかく無罪放免・無用なトラブルに巻き込まれている現状を早く脱してほしいって。

なっちとは恋人同士でもなければ友達でもないし、身内(親戚とか)でもない、ましてや顔見知りのファンなんて数えるほど。単なるネット上での発言だからきっとそうなんだろう。何が言いたいかって?
本当になっちが好きだったら、たとえ、万が一彼女が悪いことをしてしまったとしても、「謹慎が妥当!」とは言えないんじゃないか・・・。実際には、世間の目とか社会的道理とかいろいろあるんだろうけど、さっきも書いたように、なっちとは直接的には無関係な人間。だったらなおさら、そういう芸能界のしがらみとか世間的立場とかを考慮した発言は無用なんですよ!!
むしろ、何があっても「なっちは無実だ!なっちがそんなことするわけない!」って叫ぶのが本来の姿であるはず。たとえ、殺人とか(フィクションです)放火(フィクションです)の容疑者(フィクションです!)として捕まった(フィクション!!)としても。なぜかと問われれば、答えはただ一つ。「なっちが大好きだから。」。
身内とか事務所の人間が様々な事情を抱える故にできないコメント、そういうコメントをどんどんネット上で発信することが、なっちへの最高の愛情表現だったのだと思われます。もちろん、そういう趣旨のことを記したサイトも見かけましたが、多数派の謹慎妥当発言は、今となってはとてもむなしく感じます。
だって、もしなっちを目の前にしたら、そんなこと言えないですよ。不満爆発で多弁ななっちだったらじっくりとグチを聞いてあげたいし、衰弱して目もうつろななっちだったら黙って抱きしめてあげたいし。相当に心が通じ合った親友でもなければ、「しばらく芸能活動はやめなさい!」なんて言えない・・・。